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COLUMNコラム

潮の香りの手打ちパッケリ オール播磨灘バージョン

Paccheri fatti a mano al profumo del golfo di Harima

潮の香りの手打ちパッケリ オール播磨灘バージョン

22年前の僕は焦ってました。

何とか這い上がらないと…

勢いと勘違いだけでジラソーレをオープンしましたが、当初は完全な負け戦でした。

お客さんが来ない。

10坪だった当時の店のドアが外から開くイメージが持てなくなっていたくらい、お客さんが来ませんでした。

今となれば理由は1万個くらい上げれますが、間違いなく1番の理由は自信は無いクセに自分は天才だと思っていた事です。

ですので他人の話し、助言を聞きません。

他者の成功事例をなぞるなんて、まっぴらごめんでした。

僕は僕のやり方で勝負してやる、と鼻の穴広げてましたが連日連敗でした。

まだジラソーレがあるのはマジで奇跡です。

子供の頃本気でサンタさんを信じてた僕は大人になっても純真で、誰もが認めるスペシャリテさえあれば必ず逆転出来ると信じてました。

そんな思いで生まれたのが初代、潮の香りのパッケリです。

このパッケリという筒状のパスタは今でこそ日本でも時々見かけますが、22年前は日本ではほとんど知られておらず自分でイタリアから輸入してました。

当時ナポリのレストラン業界で大流行してた形状で、どの店もパッケリを使ってスペシャリテを考案してやる!と燃えてました。

日本から勝手にパッケリバトルに参戦してた感じです。純真です。

日本ではスパゲティ以外のパスタは中々人気が出ない、と沢山の助言を頂きました。

へー、そんなんですね。

僕は自分でスペシャリテと思える物を考案しているのであって、人気商品を作りたい訳ではありません、とお答えしてました。

お分かり頂けましたか?

お客さんが来ない理由…苦笑

それでも何とか生まれた訳ですよ、

この潮の香りのパッケリ。

見た目地味ですが、めちゃくちゃ斬新な料理です。

ソースのベースを作るのに1分かかりません。

シンプルなアリオ、オリオ、ペペロンチーノのベースです。

そこに茹で上がったパスタを和えながら、牡蠣、イカ、ウニ、サザエ、トコブシなどの生の魚介類を投入し、パスタと和えながらそれぞれ魚介類にジャストな火入れをし海の香りを引き出します。更に出来たパスタは超絶熱々。

シンプルだけど、作るの超絶難しい。

これこそ僕が思うスペシャリテです。

よっしゃー、と僕の頭の中ではロッキーのテーマが流れていました。

でもね、次の日からも当たり前の様にお客さん少なかったです。

今みたいにネットやSNSがある訳でもなく、僕の潮の香りのパッケリはほとんどオーダーされる事もなく、スパゲティ プッタネスカを作る日々が続いてました。

しかし純真な僕を見かねてサンタさんが、でっかいプレゼントをくれました。

ミシュランや食べログが出てくるまで、関西の食情報の唯一神、あまから手帳に掲載されました。

初登場見開き堂々2ページ。

もちろん潮の香りのパッケリ引っ提げて。

もうね、電話鳴りっぱなし。

暇慣れしてるから身体動かない。

1年通してパッケリしか通らない。

嬉しい反面、次の新作なんて誰も見向きもしない。

パッケリがプッタネスカになっちゃった。

モノ作りにおいて最も難しいのは経済的成功と職人的成功の完全両立。

30歳前にこの事を知ったのは財産でした。

この潮の香りのパッケリで僕は賞賛と新たな挫折を同時に手に入れました。

そして料理人って、どんだけこれの繰り返しが出来るかの戦いだとも覚悟しました。

あまから手帳に載った事により、他の雑誌からも沢山取材頂く機会に恵まれ他の新作や季節ごとのお勧めも試して頂ける様になりました。

それと同時にスペシャリテにも耐用年数があると気付きます。

数年後、このパッケリは手打ちになります。

本来このパッケリという大きなショートパスタは一口で一個食べるのが理想です。

お寿司を噛みちぎるか、一口で食べるかに似てます。

料理をお出しする時、お客様には出来たら一口で1個お召し上がりくださいとお声掛けしてましたが、いかんせんデカイ。イタリア仕様です。

日本の女性のお客様にはちょっと無理な注文です。

パッケリを始めたころ、パッケリをナイフで切るお客様を見るたび胸がチクチク痛んでました。この性根もお客さんが少なかった原因であるのは間違いありまへん。

笑顔と挨拶は自分から

そう、こちらが変われば良いのです。

売ってる乾麺のパッケリがデカすぎるなら、ちょうど良いサイズを作れば良い。

この様にiPhoneが進化する様に、潮の香りのパッケリも少しずつ変化してきました。

さて、やっと今回の話しです。

潮の香りのパッケリバージョン3

今年の新年初競でマグロとウニが神への冒涜かというような値段で話題になっていました。

ウニがいよいよヤバイです。

残念な事に品薄で超高額になると次のステージのニーズが生まれ、擬似特権階級体験の為に超高級食材が大人気です。

そこに群がる消費者の方々は、きっとジラソーレでもパッケリ以外のお勧めに全く興味を示さなかった方々だと思います。

もしくは今のウニが少なく、超高額なご時世に大量のウニを投入したパッケリをすればその方々が沢山お見えになるかも知れません。

ですが、僕の選択肢はウニを使わない、です。

この料理に使うウニは北海道のウニなので、瀬戸内に針を振り切った僕としては潮の香りのパッケリ自体も潮時かな?と思ってました。

しかし、長年通って下さってるお客様は許してくれません。

そう、本当のスペシャリテは人気商品を作ることではなく、お店の自負とお客様からの支持が揃って完成します。ですので、勝手に止める訳にもいきません。

最初の潮の香りのパッケリは僕の経験(過去)と想像(未来)を掛け合わせた、僕の頭の中で生まれた料理です。

今のジラソーレの料理のほとんどは、産地で生まれています。

22年前のナポリから帰って来たばかりの僕が表現する潮の香りは真っ青な地中海の香りだったかも知れません。

今の僕にとってのこの時期の潮の香り、

それは播磨灘の鼠色にほんの少し青と緑を混ぜた様な海が放つリアルな香り。

そこにウニの香りは必要ではなく、この時期にこそ愛でたいものが沢山ありました。

播州の牡蠣、明石の海苔、明石のイカ、淡路の穴子、坊勢のボラ子の自家製カラスミ。

ここにほんの少し卵黄を仕上げに加えたら、播磨灘の香りのパッケリが誇らしげに生まれました。

樂久登窯さんの淡路島ブルーに盛ると、まるで播磨灘の水面ような佇まいです。

課題だったマストロベラルディーノのタウラージ スティレマとのベストマッチもこの料理となりました。

今年は中々良いスタートです。

2025年の抱負

明けましておめでとうございます。

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

2024年の12月も沢山のお客様にお越し頂き、本当にありがとうございました。

相変わらず20年くらい通ってくださってるお客様もいれば、

コロナ禍後くらいから頻繁にお越し頂く様になったお客様も増え、

踏み込んだ接客をさせて頂く機会が増えたなぁと嬉しく思います。

逆にアラカルトを辞めた事で、全くお見えにならなくなった方も結構いらっしゃいます。

当初はやはり精神的にも経済的にもダメージがありましたが、2024年を振り返って

『ああ、このスタイルに変えて良かった。こんなに沢山の方に支持してもらえる様になったんだ…』と

熱いものが込み上げてきました。

2024年はかなりの事にチャレンジしました。ほぼ毎月お越しの常連様でも、

もしかしたら気付いてないかも知れませんし、気付いてなかったら大成功です。

去年1年間、マグロ、ノドクロ、鱈の白子など長年ジラソーレでも大活躍してきた食材を全く使わず、

瀬戸内の魚介だけで通しました。(鰻、鮎などの川魚は除きます)

僕自身コンセプトは陳腐化すると思っている方で、コンセプトがやたらと先行しているものは

好みませんし、そうならない様自戒しています。少し前まで瀬戸内ナポリ料理というのは

コンセプトでした。ですので、瀬戸内の幸をより楽しんで頂くために、瀬戸内では獲れないマグロや

鱈の白子も使っていました。コースの流れに起伏をつける目的です。さすが僕、賢い戦略です。

しかしそれは同時に簡単な戦略でもあり、誰もが考える事です。

生産者通いを続けているうちに、だんだん考えが変わりました。

僕がお付き合いしてる生産者さんたちは、皆さん揃って狭く、深くご自身の仕事を追求していて、

僕はそこに惚れ込んでいます。誰一人、何でもありますよ、何でも作りますよって方がいません。

そして皆さん、ご自身が根を張る地域に強い思い入れがあります。

これですよ、これ。これこそが僕が長年憧れ続けたイタリアの本質で、

残念ながらイタリアでも薄れつつあります。そして物事の本質が失われていく原因はいつもお金です。

利益に走りすぎるか、全くお金にならないか。どちらの両極にも触れず、その間をバランス良く

生き抜く。それには地場産業になる必要があると結論が出ました。

ジラソーレのコースの値段を上げ過ぎない様留意してるのもそこから来ています。

やはりサッカーは手を使ったらダメだからあんなスーパープレイが生まれるんですよ。

制約こそクリエイティブの源。

マグロ、ノドクロ、鱈の白子を手放したら、身近な、でも最高の素材で新しい料理が

沢山生まれました。まさか自分からこんな料理が生まれるなんて…

そして最近の新しい料理は軒並みシンプルです。でも作るのが難しい。

そんな料理を丁寧に作ってる時が一番、今しか作れない料理だなぁと思います。

という訳で、2025年に特別新しい事をしようと企んでる訳ではありません。

さらに進化、深化を目指すのみです。

しかしその先には店名を変えてリニューアルしようかな、という気持ちもあります。

今年特に大きな変化を考えている訳ではなく、既に大変換機に入ってるんです。料理人として、

後何年現役で行けるか分かりません。生涯現役を目指してますが、今向き合っている料理は

後10年か15年が限界でしょう。体力的にも、もしかしたら環境的にも。

その先は思いっきりイタリアの家庭料理に戻るかも知れません。

後10年から15年で極みに近づこうと思えば、思いっきりやるしかありません。

その一端に、今年は僕自ら接客に出る機会を少し増やそうと思います。

早く食べて早く帰りたい方には迷惑な話しかも知れませんが笑

2つめに、今までは最後のお料理だけテーブル単位でお選び頂いてましたが

3月からは完全にお任せでさせて頂きます。

もちろん食べれない物を無理矢理お出しする事はありませんが、

こちらのご提案として選択肢は無くなります。

3つめはそれにともない、コースの価格を

3月から9月 15000円(税込)

10月、11月 16500円(税込)

12月 19800円(税込)

とさせて頂きます。

万人に100点を貰うのは土台無理なら、僕たちが思う料理、おもてなしを完全にやり切る方向に向かって行こうと思います。我が家にお招きする様に。

より表現の純度は増すと思います。

しかし自分達の好きな様にやってるのも事実で、食べ手あってのレストランです。

今後も量や品数の調整など個別で丁寧にさせて頂きます。

何卒2025年も宜しくお願い申し上げます。

杉原一禎

近況報告


やっと涼しくなってきたと思ったら、もはや寒いですね。

大好きな秋が短くなって行くのは寂しい限りです。

今年の夏の暑さと長さは異常でした。

皆さんそれぞれ大変な経験になったと思いますが、特に農家さんの苦悩は相当だったと思います。

この気候がスタンダードにならない事を願うばかりです。

数年前から思い切って瀬戸内の魚介類と兵庫の瀬戸内沿岸の産物に特化したメニューに振り切り、

瀬戸内ナポリ料理と旗揚げしました。

完全に、かつ完璧な自己満足の世界を形成するためと言っても過言ではない舵きりでした。

自己満足の一環として休みの日はほぼ産地巡り、生産者巡りに費やしていくうち、

生産者さん達と揺るぎない絆、仲間意識が生まれました。

それぞれの生産者さん達を友人とも呼べるかも知れません。

しかし友情とは違う『仲間意識』をそれ以上に強く感じる様になりました。

仲間意識とは目的を共有できる事だと思っています。

実はこれ、相当に尊い関係だと気づきました。

目的を共有する。

簡単なようで、家族でも夫婦でも、ましてやスタッフとも完全な目的の共有は難しいものです。

今、僕が付き合って頂いてる生産者さん達は、皆さんそれぞれその先にご自身の生活や、

さらに守ってあげなければならない生活も抱えているので、

当然、売り上げに対する考えもしっかりあると思います。

しかしそれ以上に彼等自身が、作り出すもの、携わるものに対して深い愛情を持ち、

その思いがカタチになった彼らの商品、作品を

僕自身心から愛でながら思うままに料理できる毎日は、料理人として完璧な幸福と言えます。

こっからもっと稼ぎたい、楽したいとなると色々狂い始めるんですね…苦笑

それよりやっと出会えた仲間達、やっと気付けた自分達が住む地域の自然の豊かさ、

その地域で育まれてきた地場産業や文化の大切さ、

そしてそれらは大切に守っていかないと失ってしまうかも知れない状況にある事、

今はその事で頭が一杯です。

僕の日々の暮らしとは料理する事です。

料理する事により色んな生産者や地場産業の方と繋がり、

彼等と同じ目的意識をもって料理をし続ける事でジラソーレも地場産業のひとつとなり、

この小さな地場産業の繋がり自体がこの地域の特色のひとつとなり文化となっていく事を

願っています。

小さな地場産業ひとつひとつの存続はそんなに顧みられないかも知れませんが、

その繋がりが文化になればきっと守るべき対象になると思っています。

そしてそれが実現すれば、僕達の日々の暮らしこそが文化となり、

万博などの様にお金をかけたイベントでなくても観光資源にさえなり得ると思っています。

それは正に僕が20代の頃、魂を焦がす位に憧れたイタリア像であり、

若い頃は現地の料理を再現する事が唯一の憧れに近づく手段でしたが、欲が出ました。

瀬戸内海を望む景色の中で、

世界中の人が訪れてみたくなる文化🟰地場産業を形成する一部となる。

これが瀬戸内ナポリ料理というコンセプトの全容です。

そして瀬戸内沿岸地域に世界中から人が集まる様になった後も、

地域の人達に愛される店でありたいと願っています。

僕がイタリアで行きたいお店は観光客で賑わってるお店でなく、

地元民で賑わっているお店だからです。

現実味があるのか無いのか分からないまま、ただただ新しい目標に向けて進んでいましたが、

先月函館で開催された世界料理学会in函館で瀬戸内ナポリ料理のテーマで登壇の機会を頂き、

最近の取り組みや思いを発表してきました。

その際、明石の鮮魚店つる一さんにも同行頂き、2人で瀬戸内海の魅力を精一杯話してきました。

同時につる一さんが研究してる新しい〆方も発表して頂き、会場は大興奮でした。

講演に当たり樂久登窯の西村さんの奥様、ちかさんに動画を使って頂きそちらもご好評頂きました。

その動画と登壇の様子の動画をYouTubeで公開しましたので、ご興味あれば是非ご覧ください。

↓ クリック

http://www.youtube.com/@OsteriaoGirasole

↓ クリック

https://www.instagram.com/osteria_o_girasole_official/profilecard/?igsh=MXVjaWsxNW54c3doZg==

但馬牛について語ります。


皆さんは但馬牛をご存知でしょうか。

聞いた事はありますね?

高級和牛の代表格といった認識の方が多数ではないでしょうか。

今回、何故但馬牛について詳しく説明しようと思ったかと言うと、

瀬戸内の魚介、近郊の野菜と並ぶジラソーレのテーマのひとつとして取り組む覚悟が出来たからです。

今後ジラソーレのお肉料理といえば、

純血但馬経産牛

北海道の高橋くんの羊

冬は京都の鴨

丹波、淡路、岡山辺りの猪

夏場は国産の子豚

丹波の鹿

辺りが主力です。

滅多に外国産の物は使わないと思います。

その中で但馬経産牛は一年を通して使う予定です。

少し但馬牛物語にお付き合い下さい。

まず但馬牛ですが読み方はたじまうし、たじまぎゅう両方存在します。

簡単にいうと生きてる間はたじまうし、主に血統の話になるときの呼び名で、たじまぎゅうはお肉になった後の呼び名、ブランド名だと思って下さい。

日本中の黒毛和牛、有名なブランド牛も必ず血統に但馬牛(この場合たじまうしですね)が入っています。しかし純血の但馬牛ではありません。そして日本の全ての黒毛和牛の祖として血統を遡れば田尻号という但馬牛にたどり着きます。

純血の但馬牛は兵庫県にしか存在しません。

何故かというと、明治時代から牛肉食が広まりだし、1800年ごろには但馬牛の質の良さは既に評判になっており(血統に目を向けた前田周助さんと言う方の功績が大きい)、更なる品種改良を目指し外国の牛との交配が盛んに行われました。(大きく育つ様に。つまりはお金目的ですね。但馬牛は大きくなりにくい種なんです)

様々な交配を試した結果、すべて品質低下になっていると気付き海外種との交配は中止され、1898年から牛の血統管理が始まり、その後海外血統が入った牛は排除されます。

しかし純血の但馬牛が再評価された時には僅か4頭しか残っていませんでした。そこが但馬地方の小代(おのしろ)です。

現在の兵庫県で飼育されてる全ての但馬牛はこの4頭からの再出発で、今なお兵庫県は但馬牛の保護を全力でしてます。

兵庫県には他県の牛を一切受け入れない閉鎖飼育が行われており、但馬牛の血統を守っているそうです。

熱い話です。

但馬うしの話をしましたが、今度はぎゅうの話です。

お肉屋さんで但馬牛、神戸牛、神戸ビーフ、神戸肉、KOBE BEEFと色んな名称を見かけますが違いを説明します。

但馬牛のうち、最も厳しい基準をクリアしたものを神戸肉、または神戸ビーフと呼びます。KOBE BEEFはその英語表記で、意外ですが最もよく聞く神戸牛(ぎゅう)は、松坂牛や近江牛に対する俗称のようです。

ですのでこの際是非とも神戸ビーフの名称に慣れましょう。

この厳しい基準というのがかの有名なA5とかA4とか紙のサイズみたいなやつです。

レストランのメニューでも何ちゃら牛A5ランクのフィレステーキとか見かけます。

何となく美味しさのランクに錯覚してしまいますが、基本的にお肉屋さん目線の歩留まりとサシの割合の話しで美味しさと直結した基準ではありません。

しかしながらA4、A5が高値で取り引きされるのは間違いなく、多くの生産者さんはサシの入ったお肉を目指してるのは事実です。

ちなみに養豚、養鶏って言葉は一般的ですがあまり養牛って聞きません。

牛は飼育期間が長いので

繁殖

育成

肥育と分かれていてスキルも大きく違います。

全期間を手掛ける農家さんもいれば、それぞれの期間専門の方もいます。

ここまでは一般的な話しで、牛肉が好き、焼肉、すき焼き、柔らかいお肉が好きという方、あまり牛肉を好んで食べない方、焼肉、すき焼き殆ど食べない方、サシの多いお肉が苦手な方、意見は分かれるかも知れませんが、対象となるお肉は同じです。

食べ物ですので好みが分かれるのは自然な話しで、羊だってめっちゃ好きな人と苦手な人、魚介だって同じく好き嫌い分かれる事は多々あります。

ここからは沢山の裏話とジラソーレ目線の話になります。

まず僕自身サシのキツい高級黒毛和牛は苦手です。焼肉は年に1回オカンの誕生日に行くだけです。もちろんオカンのリクエストです。

すき焼きは小学5年から食べてません。

牛肉が嫌いな訳ではなく、牛肉のストライクゾーンが狭いんです。むしろ自分好みの牛肉をずーっと探してました。

やっぱりね、諦めないのが大事。

辿り着いたのは純血但馬経産牛です。

但馬経産牛自体は数年前から使ってますが、最近淡路島の生産者さん主体に変えました。

先ほどの話しに少し戻りますが、淡路島は淡路ビーフや淡路牛を産出する牛肉の名産地です。

淡路ビーフは神戸ビーフと同格と思って下さい。淡路牛はややこしいですが淡路島で飼育された純血でない交雑種です。これはこれで非常に美味しいです。淡路ビーフよりはお求めやすいお値段です。

今でこそ肥育、出荷までする生産者さんが増えましたが、

以前は淡路島は但馬牛の繁殖の一大産地だったのです。

淡路島で生まれた但馬牛が但馬や三田などの生産地に買われて行き

28ヶ月から60ヶ月飼育され神戸ビーフや三田牛等になって行く訳です。

ですので、淡路島に昔からお住まいの方々は牛を食べるとしたら もうお産が難しくなった経産牛が基本だっそうです。

つまり経産牛を美味しく食べるスキル、文化が発達してると言えます。

最近色々お肉の事を教えてくださる、淡路ビーフ とうげの原田社長をお肉の師匠と崇めてます。

その原田社長はお肉屋さんの2代目で子供の頃からご実家のお肉を食べ続けてましたが初めて淡路島の外で牛肉食べた時なんじゃこりゃ?と思ったそうです。

そもそも何故牛肉はしつこい、胸焼けする、少しで良いと言う人がいるのか理解出来なかったそうですが、一般的な牛肉を食べて分かったそうです。

経産牛は特殊な例として、但馬牛を飼ってる農家さんでもサシの多さを目指さず、

ご自分の信じる美味しさを追求して牛飼いをなさってる方もいます。

もっと言うと、サシがしっかり入る飼い方をしてる農家さんも、自分が食べるのはサシのキツくない物を選ぶそうでこの辺りは消費者、販売者、生産者の幸せの共有が出来てないと思います。

更に裏話になりますが、サシを多く入れようとすると飼料が高カロリーになり、ビタミンを含む草を食べる量が減ります。

反芻動物なのに反芻する必要のない食事が増え、内臓が発達しません。

そしてこの様な飼育理論の農家さんはやはり飼料添加物も使います。抗生剤のモネンシンが良く使われるそうでアメリカ、カナダ、日本では認可されてますが、EUでは禁止されてます。

肉師匠の原田社長はモネンシンフリー(不使用)の農家さんからのみお肉を買っているそうです。つまりはサシ至上主義ではない、牛肉の本当の美味しさを追求する生産者さんと言えるかも知れません。

とうげさんでは、牛を数頭仕入れた際生産者さんも呼んでブラインドテイスティングをするらしいです。

好きな順位をそれぞれ発表するらしいのですが、常にハイレベルな争いの中、ほぼ生産者さんが1番を付けるお肉はご自分で育てた牛になるみたいです。

つまり自分好みの味になる育て方が出来てるという事です。これは素晴らしい話しでしょ?

サシが沢山入るように飼料添加物を使う農家さんもいれば、自分が信じる美味い肉をイメージしその為には牛に愛情を注ぐしかないと、飼育に手間を惜しまない農家さん。

高カロリー飼料はほっといても牛は食べますが、ほし草は本来の食べ物のはずなのに食い渋る事があるそうです。

そんな時は干し草をばさっと適当に与えるのではなく、綺麗に横に揃えてやると牛にとって食べやすく良く食べるそうです。

また短く切った方が沢山食べますが、長いままの方がしっかりはむはむして、しっかり反芻し健康に育つそうです。

短い草を与えるのは甘やかしになるのでしょう。牛が長い草を食べてる間も頻繁に草の向きを整えて牛が食べ易い工夫をします。

世界はそれを愛と呼ぶんだぜ

先日農場を見学させて頂きましたが、

餌をやってるのではないなぁ、牛の食事を用意してはるなぁと温かい気持ちになりました。

感情論としてサシを目指さない農家さんのお肉を買いたいと思うのは当然で、

更にその先の話しが経産牛です。

近年、経産牛に目を向けるレストランが増えているのも事実ですし、相変わらず評価が限定的なのも事実です。

日本の魚介類の価値が和食、もっと言えば寿司屋さんの高級ネタと比例して構築されたままのように、牛肉の価値も一昔前の何となく作られた価値を信じ込まされたままな部分が大きいです。

寿司屋さんんが求める最上の魚と、西洋料理、中華の料理人が求める最上の魚は少し違うはずです。

同じ様に、焼肉屋さん、ステーキハウス、割烹の料理人と西洋料理の料理人が求める牛肉も違って然りです。

凄まじいサシの牛肉にバターたっぷりの赤ワインソースを添える料理人やマグロの大トロとアボカドを合わせる西洋料理の料理人もいますから一概には言えませんが、経産牛は西洋料理向きだと思います。

黒毛和牛は究極的にご飯と合うと思いますが、経産牛は赤ワインが欲しくなります。

経産牛は焼くのが少し難しいです。

それも西洋料理的だと思いますし、サシ入った牛肉は家でホットプレートで焼いても美味しく食べれますが、経産牛はプロが焼いた方が美味しく焼けると思います。

特に経産牛のロースでない部位。

とろける柔らかさはありませんが、香り、歯応え、旨味の余韻にハーモニーがあります。

ジラソーレもほぼお任せコースになり、最後の1品だけ選んで頂きます。

お任せコースのお店が増えて、その多くのお店のメインは牛肉な事が多く、自分がお客さん目線で考えた時、西洋料理店に行って毎回牛肉なのは少し寂しいと思ってました。

実際当店の常連様でも毎回牛肉を選ぶ方もいれば、必ず牛以外を注文する方もいらっしゃいます。牛肉を食べる機会は多いですから。

しかし牛肉を今まで選ばなかったお客様に、是非1度純血但馬経産牛を試して頂きたいと思います。何なら違う種族、生き物だと思って欲しいですね。

先日、淡路島に牛研修行きまして、朝9時半から午後2時半まで、ずーっと途切れるとこなく純血但馬牛の事を熱く語って下さった原田社長の火傷しそうな但馬牛愛を是非感じで欲しいと思います。

ジラソーレでは今後、色んな部位を順番に仕入れ、毎回牛肉を頼んでも毎回違う楽しさを提案したいと思います。

また、生産者さんごとの味わい、経産牛の月齢での味わいの違いもイメージ出来る様、メニューに生産者さんのお名前や月齢、牛の名前も?記載しようと思ってます。

僕は届いたお肉を出来るだけ美味しく料理し、お客様の美味しかったを生産者さんにお返ししたいと思ってます。

お肉の味を追求した飼育をしてる農家さんに、お客様の美味しかったが届かないのは勿体話しです。

そして但馬牛の生産者の世界も跡継ぎがいない問題を抱えています。

生産者、販売者、料理人、お客さん、このすべての人達のハッピーが同じ方向を向けば、少しずつ色んな問題が好転すると思っています。

世界じゃそれも愛と呼ぶんだぜ

love&peace 

瀬戸内の抜群の魚

季節ごとの近郊の野菜

僕のパスタ

美味い肉と赤ワイン

愛憎の間を揺れ動くデザート

全てをひとつの景色に変えてくれる器

love&peace

ジラソーレではそれを愛と呼ぶんだぜ

杉原です。

またもや暫くコラムから遠ざかっておりました…

時々お客さんに、もうコラム書かないの?楽しみにしてるよ!と仰って頂くと非常に嬉しいのですが、気がつくと数ヶ月経ってますね…

意外かも知れませんが、僕は幼少の頃から活字中毒で、本を読むのが大好きでした。

そして文章を書くのも好きでした。(過去形)

オーナーシェフになると料理はもちろん、経理も雑用も日曜大工もしなければなりません。そしてその気になればブログ等で文章を書くのも自由です。

ある意味マルチな才能を発揮出来る職業かも知れません。

10数年に渡り、料理と同時にコラムでもその瞬間の思いをそれなりに情熱を持ってお伝えして来たつもりです。

しかしながら、不思議なことに言葉で何かをお伝えしようという発想が最近とんと湧きません。

自分では饒舌でもあったと自負してましたが、正直最近話すのも凄く下手になってきた気がしてます。

いつからか、自分では分かっています。

瀬戸内ナポリ料理という僕の中で起きた小さなビッグバンが原因です。

料理には沢山の可能性と力が秘められていると信じています。

音楽には音楽でしか伝えられない感動があり、料理には料理でしか伝えられない事があります。特にこの自然の豊かさ、もっと言えば自分達が住む地域の豊かさを表現するのに料理に優る方法はないと思います。

言語化出来ない情報、言語化出来ない感動を余す事なくお皿に乗せたい。しかも整然と。

その事で頭がいっぱいになってきた頃から、非常に文章を書くのが難しくなってきました。

以前はもう少し右脳と左脳のバランスが良かったのでしょう。

最近は右脳に振り切ってるのかも知れません。

逆に以前はお皿に表現しきれなかった事をツラツラと書いていたのかも知れません。

間違いなく最近の料理は少しシンプルになってきていますが、お皿の上の情報量、熱量、仕事量ジラソーレ史上群を抜いてます。

そして、僕が喝采を浴びる為の料理でなく、いかにこの時期の針イカが美味しいか、明石のタコって、この火入れでこんな表情するんですよとか、メイタカレイとアーティチョークのこの時期1ヶ月弱だけの最強の相性とか、北海道の高橋さんって羊バカが育てる、愛情を畜産で表現した羊に何とか2人分の愛情乗せて焼きたいなとか、僕の頭の中は素材と産地と生産者さんの自慢しかなく、彼らが届けてくれる素材を料理する喜び、感動をお客さんと共有したいという気持ちしかなくなりました。

そしてジラソーレの料理に欠かせない淡路島の樂久登窯さんの器との出会い。

樂久登窯の西村さんとも良く時間を忘れて数時間語り会います。それも僕にとって貴重で素敵な時間です。(明石の魚屋とも時間と次の日の仕事も忘れて長時間飲みますが)

彼の渾身の新作の器に初めて料理を盛る時、ちょっと一瞬時間が止まったんちゃうかと思う事があります。

一皿作り上げるのに、沢山の生産者からの言葉にならない情熱と工夫と苦労の詰まった素材が届き、ヒーヒー言いながら必死のパッチで作った料理を淡路島の風景を切り取った様な器に盛る。

その時のお皿の上の情報量は何時間話しても説明しきれません。

もし料理で伝わらないなら、言葉で伝わるはずがないのです。

めっちゃ体よくコラムを書かない理由をツラツラと書きましたが、事実です笑

ではご機嫌よう

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