sciue' sciue'進化形
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バールがしたい!
別にそう夢みてた訳ではないんです。
でも、ずっと心のどこかに引っかかっていました。
多分最初の洗礼は、昔、西宮の苦楽園にあったドスシバリス。い
大阪のエルポニエンテの小西シェフが昔、シェフをなさっていたところで、僕が初めて働いた本格的なレストラン(洗い場でしたが...)であり、後にも先にも彼処より素敵なレストランは、僕にとってありません。
本格的なレストランにバルが併設されていて、食前酒をそこで楽しんでからレストラン、もしくはレストランで食事してから、バルでダラダラ食後酒。
勿論、バル単体で楽しむ方も多く、どの時間帯もお茶だけとか、ワインだけとか、とにかく自由でした。
もしかしたら、僕の料理人としての原体験であるドスシバリスの再現が、僕の永年の夢だったのかな?
ドスシバリスで働いたのは、18か19歳の頃でした。
調理師学校に行きながら、数ヶ月バイトしただけです。
でも、その時の体験が、僕の人生にこんなに影響を与えている。
物凄く恐い職場でした。
そして、みんな一生懸命でした。必死といった方が良いかもしれません。
10代のガキのルールは、全く通用しません。
だから、全く楽しくはなかった。
楽しくなかった以上に、悲しくなり、怖くなりました。
子どもにだって、子どもなりのルールや競争があります。
どのコミュニティにも絶対に。
僕はよくスタッフに言いますが、暴走族やヤクザと呼ばれる人たちにもルールがある。
むしろ、そのルールに対しては、一般市民以上に忠実です。
その業界、そのグループの中に存在するルールを守れない奴は、どうしようもない。
そして、その絶対に守らないといけない鉄の掟は、どこにも書いていません。
口伝です。
これミスしたら死刑。
もしくは、空気を読んだり、経験で学ばなければなりません。
あれ、気がつけばひとりぼっち。
学校の校則みたいに書いてあるルールは許してもらえるルールです。
僕が社会人になって読み取ったルール。
全力でやる。
凹んでも、落ち込んでもクサらない。
これに尽きます。
先日、涙が出るほど嬉しいことがありました。
2002年6月、自分は表現方法こそ違うが、エルブジのシェフと同じ位天才だと一点の迷いもなく信じ込んでいた杉原青年(28歳)は、兵庫県芦屋市に10坪13席のお店をオープンしました。
その日のために10年間、死に物狂いで働きました。
これは今振り返っても、よく頑張ったと思います。
すごろくみたいに、振り出しに戻るって言われたら、間違いなくちゃぶ台ひっくり返します。
そして、お店は10坪とかなり小さく、立地もかなり悪かったですが、これでもかと背伸びした店作りをしました。
開店に合わせ、食器、食材、ワインも自分で直輸入し、片田舎の芦屋でナポリと1秒の時差も無い店をしようとしてました。
ハンドキャリーじゃないですよ。
コンテナー手配して、通関の仕組み勉強して。
スタートしてすぐ、赤穂のさくらぐみさんに並んでやろうと息巻いてました(笑)
ところがどっこい、いきなり天罰をくらいました。
バベルの塔ですな。
オープン初日に、火事になりました。
これが幻のジラソーレオープン、5月23日でした。
幸い、ボヤで済みましたので6月6日、UFOが墜落した日に再スタートをきります。
えげつない経験です。
でも、短期間(短時間)で、凄く大人になりました。
一番大変だったのは、マンションの一階のテナントだったので、そのマンションの住人の皆様にそのボヤの詳細と原因の説明、それに謝罪と今後の安全対策の説明に80世帯以上回ったことです。
原因は簡単にいうと、マンションの管理組合が工事に対して素人意見を言い過ぎた。
それに対し、闘いきれなかった施工会社が責任を押し付けられたってとこです。
遠慮なく言うと、僕が一番の被害者だったかもしれません。
むしろ相当被害者意識を持っていましたが、まあ、形だけでも謝って回らんとな〜と思って伺った一軒目のお宅で思い知らされました。
あ、睨まれてる...
これはヤバイと思いました。
これは本気で謝罪しないと。
もう、誰が悪いとか関係ないです。
80軒納得させないと、追い出される。
まだ1円もお金返してないのに。
誰にも守られていない事を実感しました。
ナポリに住み出した時も似たような感覚に襲われましたが、少し質が違います。
ナポリにいる時は、自分だけ何とかなれば良かった。
多少のズルもしましたし、はっきり言って属性ルンペン、職業調理師て位、社会の底辺でした。
店をする。
このお金を得るためにあるはずのシステムにおける、鉄の掟。
それはお金を払う事です。
家賃
仕入れ
給料
光熱費
返済
税金...
いかなる手段を用いても、支払いさえ滞らなければ、店は存続します。
ルールは時々ガラッと変わったり、優先順位が変わります。
今は謝罪や。
選択肢が無いと迷いません。
工務店の社長がついて回ってくれましたが、全軒1人で謝罪しました。
50軒を回ったくらいで、工務店の社長に言われました。
杉原さん、こんな事僕が言える立場やないけど、今後も大変な事もきっと沢山あるやろうけど、あんたなら大丈夫や。
一軒毎に、謝り方が進化してる。
後ろで見てたら、味方を増やしに回ってるみたい。
良いもん見せてもろた。
...この社長もファンキーやなと思いながら、その言葉に勇気付けられ無事に全軒周り、幸い、火事直後は出て行けムードだった火の粉は消せました。
しかし、
本当の試錬はこの後です。
6月6日の再スタートを密かに遂げたものの、お客さんが来ない。
知り合いしか来ない。
全く知らない方、オープンの6月、何名いらっしゃったんやろ。10名位?
6月は、まだマシでした。
知り合いは来るから。
7月...。
酷かった。
火事の何倍も凹みました。
火事はショックだったけど、社会的責任は勿論僕にありますが、原因は別にあった。
意識をそらせれました。
お客さんが来ない。
電話もならない。
何回も受話器が上がっていないか、看板の電気付いているか確かめました。
5日連続お客さんゼロ。
流石に取り乱しましたね。
店のドアが、外から開くイメージが持てなくなっていました。
仕入れ、仕込みするべきなのか?
そんな中、関西を代表する食道楽のための雑誌、あまから手帖さんから電話がありました。
なんと、うちで食事した方が、あまりに美味しかったのでお勧めの手紙をあまから手帖に出して下さったとの事。
折角なので、小さいコーナーですが読者おすすめの店で掲載しても良いですか?と。
きっと余りに暇そうなのを見かねて、知り合いが書いてくれたんだろうと思いました。
お手紙の主の名前を尋ねると、知らない名前。
当時、お客様カードなる物を作っており、ご来店頂いた方に、お名前やご住所なんかを記入して頂いてました。
あ、この人や。
僕より少しだけ歳上位のご夫婦。
近所にお住まいで、フラッとよって頂いたお客さんでした。
気持ち良く食事して頂いて、気持ち良くお帰り下さったのは覚えていました。
どうしてもお礼が言いたくて、お電話差し上げました。
その方も、まさか僕から電話があるとも思っていなかったらしく、ビックリしてらっしゃいましたが、僕は知り合い以外で初めての常連さんになってもらえるかも!って恋心に近いくらい舞い上がっていました。
しかし、次の一言で目の前が真っ暗になりました。
(せっかく良いお店が近所に出来たのに、急に転勤が決まったんです。また神戸に来ることがあったら必ず寄りますね!)
この時は、常連さんを失うというより、今のこの感謝の気持ちを何とか伝えたい!!!と言う衝動に駆られ、では、お引越し前に、最後当店でディナーに招待させて下さいと申し出ましたが、本当に2,3日で引越しという所で、お気持ちだけでと電話を終えました。
本当に初恋と失恋に似た感覚でした。
それを機に、折れかけていた心ももう少し頑張ろうと踏ん切りが付き、色んなことが少しづつ、少しづつ好転して行きました。
今年の始め、とあるお客さんがお二人で入店され、お一人は直ぐにお席に着いたのですが、女性のお客様が僕をチラチラ見てらっしゃいます。
参ったな〜♥️と、愛想を振りまこうとしたら、シェフの方ですか?と聞かれましたが、一瞬で確信しました。
あー~~~~~~~~!この方!あまから手帖に手紙書いて下さった方や!
12年以上前に、1度来てくださった。
でも、まだ覚えている。
僕は忘れるはずないな。
だって、まだ何を召し上がったかも鮮明に覚えています。
このご夫婦もジラソーレの事、何となく、でもずっと気にして下さっていました。
12年ぶりの再会。
僕に言わしたら南極物語は茶番でっせ。
こんなに特定の方に料理をするのが嬉しいのは、基本的に職業倫理に逆に反するかもしれません。
しかし、この日のメニューにはありませんでしたが、12年前に褒めて頂いた料理も出来る事を伝えると、その事にも、覚えていたことにも喜んで頂けました。
今の店舗に移転して、思い知らされたこと。
10年以上来てくださってるお客さんが、なんて多いんだ...
ジラソーレの新しいバール、シュエシュエ。
レストランは今年13周年を迎えますが、バールは1年生。
10年経ったバールが見たい。
もう火事はゴメンだし、お客さんが来ないのも勘弁して欲しい。
でもきっと避けられないアクシデントや、泣けてくる程の感動もあると思います。
色々試していきます。
ジラソーレも色々試してきました。
これからもそうします。
久しぶりに固い内容になりました。
ジラソーレにゆかりのある方が2人、出店の準備をしています。
少しでも、気が楽になれば良いな。
かなりのバール巡りをしましたが、やっぱり書いたメニューはなんぼショーケースがあっても必要だと思い知った2014.
バールと言えど、季節感、特別感、ジラソーレ感を出さないと...と思い知らされた 2014
皿の上はあまり過度な装飾をしませんが、物販のルールは別と思い知った2014
バールではこんなん食べて欲しいと思う2015. 牡蠣がやっと大っきくなってきた!
店内も少しずつ、置き場を変えたり、置く物変えたり。