冬のジラソーレ
冬のジラソーレ
ジラソーレ
イタリア語でひまわりです...
なんかこの時期Tシャツで歩き回ってる気がする位、季節感のない名前ですね。
チューブもサザンも夏ってイメージですが、サザンはそれだけで終わらなかった訳ですね。
僕も夏しかお客さん来なかったら困りますので、冬場も大いに頑張ります!
それはそうと、よくなんで店の名前をジラソーレ、ひまわりにしたのか聞かれます。
照れくさいから適当にお答えする事が多いのですが、真相を教えましょう。
僕は料理人でありたい前に、非常に独立心が旺盛でした。
自分で商売がしたい。
親父が商売をしていた事もきっと関係あるんでしょうね。
男は親父を抜きたがる。
そして親父には料理人になるの、結構反対というか、馬鹿にされてましたから。
...ですので、修行中も勝手に(頼まれてもないのに自らという意味で)原価計算して、働いてた店の家賃とか人件費も大体は分かっていたから、現状これくらい利益出てるんじゃないかなー位のシミレーションは20代前半でしてました。
その計算の精度がどうだったかは別として、オーナーシェフやマネージャーと話すときも、意識して数字を絡めた話をしていました。
だからか、年齢以上に責任のある仕事をさせて頂いてたと感謝しています。
と、同時に自分の店の名前何にしよーとか、どの地域に店だそーかとか、延々妄想していました。
そうする事が日々の激務に耐えるモチベーションだったと思います。
特に店名はイタリアに修行に行く前、ずーっと考えてました。
多分、一番多くの時間を費やした考え事だったかもしれません。
イタリアに行く前、日本でPEPE(ぺぺ)というイタリアンで働いていました。
日本語でコショウですね。
ある日シェフに、何でお店の名前ペペにしたんですか?
と質問したら、1秒も考えることなく
日本語で、山椒は小粒でぴりりと辛いって言うやろ?
最初の店は、ホンマ小さな店やったけど山椒みたいに存在感のある店になるようにって付けたんや。
山椒は西洋料理やったらコショウかなーと思って。
とのお答え。
へー。日ごろずっと怒ってばっかりの師匠も、そんな事考えて店開けはったんやなーと、ちょっと感動し、ちょっと師匠との距離が縮まった気がしました。
あと、もう一軒非常に憧れてたお店、スペイン料理のドス シバリス。
大阪のエルポニエンテの小西シェフが昔シェフをしていた所。
ドス シバリス。
二人の快楽主義者。
もはや映画のタイトルですよ。
この二軒のお店の名前より、僕的にかっこいいのをずーっと考えていました。
当然、決まらないまま更に時間は経つのですが、イタリアに行ってあまり考えなくなりました。
イタリアのお店って、店名全然凝ってないとこばっかりなんです。
1番多いのオーナーの名前由来。
次が、立地由来。
川の近くとか、橋の近くとか、角にあるとか。住所の番地がそのまま店名なのも結構あります。
イタリアにはHANAKOやあまから手帳、東京カレンダーみたいな情報誌が日本ほどありませんでしたから、
お店が有名になるには、その店の得意な事、もしくはこれをするために店を始めたという商品を、流行廃れ関係なく淡々と、でも情熱をもって皆さんやってらっしゃいました。
なんか店の名前ありきみたいな考え方だった自分が少し恥ずかしくなり、自然と考えなくなりました。
イタリアで働きだし、四季の移り変わりを2回経験した頃から、料理における必然という事に心奪われていました。
必然性は大部分、科学的、物理的に説明できます。
でも、料理に至っては説明しきれない部分もある。
でも、多くの人はその必然性に美味しさを感じ、伝統料理という形で今も残っている。
例えば
ナスのあく抜きに何故あら塩を使うのかは科学的に説明できますが、カプレーゼ(モッツァレラチーズとトマトのサラダ)の組み合わせの美味しさの説明は、仮に科学的な説明をされてもあまり意味のない説明です。
日本でカプレーゼ食べて、美味しーと思った事あります?(組み合わせの妙として?)
これは料理における必然という事を本気で考え出したきっかけでもあります。
僕はナポリで働いていたので、モッツァレッラは常に身近でした。
最上級の物から手頃なものまで、色々使ってきました。
ある日、ナポリでモッツァレッラの試食会に参加する機会があり、ワインの試飲(試飲会のような楽しい感じでなく、テクニカルシートの制作の様にアカデミックな感じ)
の様に、モッツァレラを試食しました。
美味しいという言葉を使わず(勿論個人的好みも抜いて)、それぞれのモッツァレラを評価、表現していきます。
やってみると凄く難しいんですよ。
モッツァレラってみんな好きですよね。でもモッツァレラの美味しさってこんなに、ある意味単純で、個性的とは言いにくいのか!!!と思い知らされました。
ちょっと誤解を招く文章かもしれませんが、それくらいモッツァレラの美味しさって奇跡的なバランスと鮮度(乳の香り)の美味しさなんです。
参加者みんな困っていると、講師の方が一言、
ちょっと酸味、酸を探して食べてみて下さい。
すると、皆、おおーとざわめきました。
普通、傷んでも無い限り、モッツァレラを食べてそんなに酸味がどうこう言いません。
でも、そう言われて食べるとモッツァレラ構成している味で支配的なのは酸なんです。
決して酸っぱくないですよ。
でも、酸なんです。
そのあと、モッツァレラを何通りかの食べ方で試食しました。
なんかね、改宗した気分でした。
まず、ナポリでモッツァレラ前菜で食べるとしたら、
そのまま、
もしくは生ハムと一緒に
もしくは、カプレーゼ
と言ったとこですか。生で食べるの前提です。
そのまま食べるさい、ナポリではホントそのまま食べます。
オリーブオイルとかかけない。
多分一番人気、生ハムとモッツァレラ。
組み合わせとしては究極だと思います。
それぞれがそれぞれを倍以上美味しくする。
そしてカプレーゼ。
カプレーゼって、別に美味しいとかどうとか、コメントするものじゃないと思っていました。
まあ、こんなもんでしょって。
その試食会でも、特にカプレーセで盛り上がることなく、あーええ勉強になった位で帰ったのですがその数日後、カプレーセに説教されました。
ナポリにクオーレディブエという品種のトマトがあります。
生食の最高峰です。
これもね、モッツァレラと一緒で美味しいという言葉使わずに表現すると、表現しきれないんです。
甘みも酸味もどちらかと言えば控えめ。
でも香りは夏のぱぁーっとした胸がすっとする香り。
このトマトに、塩とオイルをかけると変身するんです。
そうなんです。このトマトはトマトサラダの最高の材料であって、そのままかじって最高なトマトではないのです。
これとモッツァレラを合わせたカプレーセって?!鳥肌が立ちましたよ。
あ、カプレーセの着地点はこれだって。
カプレーセといえども、全ての条件が揃うと凄い事になるんですよ。
この経験で更に料理にのめり込みます。
寝ても覚めても料理の事ばっかり。
そんな頃、トスカーナに行く用事があり、電車に乗っていました。
トスカーナはひまわりも有名で立派なひまわり畑があります。
丁度電車でひまわり畑を通った時、そのあまりの美しさにしばし見とれてたら、更にビックリ。
ひまわりってホントに太陽の方向向いてるんですね。
広大なひまわり畑のひまわりがみんな太陽の方を見ている。
そのひまわりに僕は心奪われてるのに、ひまわりは僕のことなどお構いなしに太陽を見つめ続けている。
その憧れから自らの姿まで太陽に似せて。
料理以外で感動する事なんてほとんど無いなか、花の美しさに感動してる自分に気付き、そしてちょっと自分とひまわりがダブりました。
僕もイタリアとイタリア料理に憧れ、同化しようとしてる。
店の名前ジラソーレにしよう。
ずっと前から決めてた気分になりました。
でも、モッツァレラとクオーレディブエの出会いのような鳥肌もたってました。
真冬のひまわり、咲き誇っております。