定番は強い
定番は強い
すみません、ちょっとご無沙汰してました。
今年の五月位から、ちょっとスランプですね。なんか書けない。
コックやのに、ホームページのコラムを書くのにすらスランプを感じるのが僕らしいですね。
でも、あまり深刻なスランプではありません。
何で書けなかったかと言うと、今年の5月位からかなり色んな事を考えていて、妄想はいつもしていますが、今回は頭の中にある考えを整理して現時点での答えを出していこうと、長年悶々と考えていた事を具体化しようと思っています。
そういった自問自答している時は、あまり皆様にこれってこうです!みたいなメッセージを発信しにくく、コラムの更新が滞ったしだいです。
どんな事考えてるかと言いますと、具体的に書き出したらキリがありませんがジラソーレも10周年を迎えました。
この10年潰れないよう、必死に世の中に受け入れられる努力と、料理人としての自己表現の狭間で戦って来ました。
この努力は一生続くと思います。
でも、10年続けた世の中に受け入れられる努力の何割かを、もう少し自己表現に回したい。
どう落とし込んでいくか?
まだまだ答えは出切っていませんが、少しずつ形にしていきます。
こんなに悩んでいる時でも僕には力強い味方がいます。
スタッフとウチの定番料理。
恥ずかしがらず、スぺシャリテと呼びましょう。
偉そうな事をいいますが、僕は沢山の定番料理(スぺシャリテ)を季節ごとに持っています。
メニューをほぼ毎月変えますが、去年の今頃と8割は、同じ料理です。
常に、新作を考え、試作もしてますがメニュー数の枠は決まっています。
定番を超えるものでないと、新作は載せません。
一方、定番料理は10年、15年作っているものも多い。更に進化しつずけます。
定番と言えど、常に色んな事を試して更に美味しくなるはずと、工夫を重ねます。
例えば、ナポリ料理の定番中の定番、ナスのパルミジャーナ。
揚げたナスと、モッツァレラ、トマトソースを重ねてオーヴンで焼くだけですが、色んな工程を見直して作るとここまで美味しくなるのか!と幸せになります。
どんな料理も掘り下げて作り続けると、ホントに素晴らしくなります。
世の中、モダンな料理が最盛期を迎えてます。
見た事もないプレゼンテーション、食べた事もない組み合わせ、それに挑み続ける料理人人生もかっこいいですが、僕はそっち派では無かったようです。
好きな歌手のコンサート行っても、盛りあがるの代表曲でしょ?
新曲が続くと疲れます。
そういえば、僕は料理と音楽って似てると思います。
演奏と調理。
楽譜とレシピ。
ある程度、それに従って進めて行きますが、ピアニッシモ、フォルティッシモが数値化できないように、料理も数値化できない部分が多いです。
そこに個性がでます。
演奏技術があるかないかと、その曲を理解して演奏するか。もっと言うとその曲が弾ける様になったかと演奏できるかのちがいと言いますか。
アサリのスパゲッティって、無茶苦茶難しいですよ。100点の作るの。僕も10回に4回位。
毎回、アサリの味の出方が全然ちがいますからね。ソースができたら即パスタと和える。
待ち時間でアサリが縮みますから。
修正できない一発勝負。
でも、何品かはこの料理って僕の為に考え出されたなって思う位、完成度が上がってきました。
これからも演奏家で行こうと思います。
今の所、完成形と思っているナスのパルミジャーナ。
残念ながら写真ではあまり何も伝わりませんが、美味しいです。
ずーと食べていたい衝動にかられます。
ナポリでも、人によって結構微妙に作り方が違うこの料理、色々試しました。
ナスの揚げ方一つ、ソースの煮詰め具合一つでかなり変わります。
色んな段階を試したお陰で、色んな事が分かりました。
実はどれが正しいという事ではありません。
ナスは、品種によって油の吸い方が違います。
当然、トマトソースを作る時の脂の量を調節する事になります。
真夏の暑い時と、ちょっと涼しくなった今では、トマトソースの煮詰め方も変えます。
そうです。
定番料理を作りつずけると言う事は、同じことの繰り返しではなく微調節の繰り返しなんです。
すごくわかりやすい例え。
ナスとトマトソースとモッツァレッラを重ねてオーヴンで焼くこの料理。
なんか、日本人的には最後にモッツァレッラ載せて焼きたくなります。
それがこの写真。
こちらの方が美味しそうに見えるかも知れません。
でも、間違いです。
してはいけないアレンジの一つ。
ナスのパルミジャーナは、常温か、少し温かいくらいの温度で食べます。
間違ってもオーヴンから出たての熱々は食べません。
ラザニアもそうです。
日本人は、あっつい物と冷たーい物を好みますが、イタリア人は熱すぎる物、冷たすぎる物は食べません。
大体体温のプラスマイナス30度の範囲。
これが、食べ物を美味しく食べる温度帯だそうです。
ちなみにレストランで出てくるパンも、イタリアで焼き立ての熱いのが出てくる事はありません。
もし出てきたら古いパンです。焼き立てでなく、焼き直しですからね。温かいパンと言うのは。
この上に乗ったモッツァレラ、この料理の中でダントツ、オーヴンの中で高温に長時間さらされます。
完全に油脂分も抜けてしまって、パサパサのカピカピです。
オーヴンから出したてならまだしも、休ませると只のゴムです。
なら、もっと熱いうちに食べたら良いと思われるかも知れませんが、ナスのあのニュートラルな美味しさは熱すぎると只の凶器です。
口の中がずるむけになるだけで味は分かりません。
最上段はトマトで終わる。
鉄の掟です。
長年作ってるワタリガニのパッケリ。
これはこれで、完成形を見てるとは思います。
大体パッケリというパスタ自体、目的意識の非常に強いパスタです。
むっちゃ大きいマカロニ、遊びで作った訳では無さそう。
パッケリは基本、一個を一口で食べるものだと思っています。
大きいですよ。女性には難しいかもしれません。
でも、一口で食べた時にこの大きさ、フォルムの理由が発揮されます。
小さく切って食べたら全く別物になってしまうんです。
でもお客さんに一口で食べて下さいとは、強要できません。
それなら自分で、日本のお客さんでも一口で一個食べれるパッケリを作ろうと、手打ちを始めました。。
うん、美味しい。基本的に100点です。
でも一つだけ納得できない点が。。。
これも、セモリナで作ってますのですごくモチモチです。
でもパッケリの、あのちょっとおせっかいな感じが無い。
日本人用にカスタマイズしたので成功なんですが、パッケリとはおせっかいな物であるという定義から外れました。
品数の多いコースに組み込む場合は完璧だと思います。
少量で色んな表現ができますので。
手打ちでなんかおせっかい感を出したいなー。。。
ツルン、モチッ、ニュルン、モチモチ。
パッケリの完成系を追い続けて、意外にも違うパスタにたどり着きました。
ストラッシナーティ。
この不規則な形が、パッケリを一個一口で食べて口の中で暴れながらほどけて行くのに似ています。
かなり気に入ったので、今季はストラッシナーティで行きます。
ストラッシナーティですけど、パッケリです。パッケリの美味しさを掘り下げると、パッケリという事にすら執着しなくなります。
誰の言葉か忘れましたが、
花の美しさというものは無い、只美しい花があるだけ。
これは、何かに執着し続けた人がたどり着く言葉かも知れません。
これの英語版は
イッツ オンリー ロックンロール
ローリング ストーンズ
執着の先の悟りですね。