2014年6月
スタッフ募集のお知らせと、阪神間で独立をお考えの方に耳より情報。
さあ。
移転の日が近づいてきました。
非常に順調な部分と未知な部分と。
40歳になったばっかりですが、生意気にも3軒目のお店です。
店舗展開、いわゆる2号店、3号店ではなく、常に自分の居場所を作ってきました。
最初の店は10坪。
本当に狭かった。
仮に喫茶店としても小さい店でした。
そこで世の中で戦って行くという意味を理解し、調理師から料理人になりました。
先輩、上司という立場から、経営者、師匠という立場に変わりました。
誰も何も教えてくれません。
お店を開けた時、初めて税務署に行った日の事を良く覚えています。
事業所の開業の手続きみたいな物ですが、そこの職員さんにいきなり青色申告ですか?白色申告ですか?と聞かれ固まりました。
そんなもん、習ってへん。
日本人なら知っていて当たり前なのを前提に聞かれます。
温度卵が何度で出来るか知ってるし、砂糖を加熱すると何度で色付いてくるかも知ってました。
当時のイタリアワインのD.O.C.G、D.O.C,それぞれのリゼルバやソットゾーナも全部覚えていましたし、それぞれのワインの推奨ブドウ品種、許可品種も完璧に覚えていました。
自分でレストランを開業するのに、人一倍努力してきたつもりでした。
青色申告。。。白色申告。。。
なんやねん、それ。。。
思いきって聞いてみました。
僕
「あのー、正直高卒ですし、義務教育も義理程度しか受けてなく、残念ながらその授業があった日学校をサボっていた可能性が非常に高いです。
申し訳ございません。一度出直して、小学校からの教科書を全部見直そうと思いますが、大体何年生位で習うものですか?」
職員さん
「いえ、義務教育とかでは習わないと思いますよ.。。」
僕
「そうですか。では初めての来庁で、開業の手続きに来たと申し上げました。義務教育で習っていない以上、専門用語です。何なんでしょう?その青とか白とかカラフルなシステムは?国民の義務である納税の意思がありながら無知な若者は、皆、この苦い思いをするルールなのですか?」
職員さん
「失礼いたしました。もしよろしければご説明させて頂いてもよろしいですか?」
多少の語尾の違いはあるかも知れませんが、こんなやり取りで青色申告と白色申告の違いを説明頂き、結局当時の僕の馬鹿頭じゃ全く理解出来ず出直しましたが、プロフェッショナル(職員さん)の相手は必ずしもプロフェッショナルじゃない(無知な僕)事を学びました。
勉強するとか専門性のスキルを上げる事は非常に大切ですが、一歩間違えるとヒステリックになりますし、お客さん側は全く理解できない、そんな事望んでない、っていう可能性を垣間見ました。
今だから笑い話ですが、10坪の最初の店、オープン初日、火事になりました。
勿論僕のせいではないですよ。
ボヤで済みましたが、消防車7台来て、強烈な借金返済の初日に消防隊員に、延焼を防ぐために壁をぶち抜きます!とスポーツ選手の様に爽やかに言われ、はあ、、、何か手伝いましょか位は言ったかな。
茫然としてる僕に違う消防隊員が来て、火事場泥棒はホントに気を付けないとダメです。貴重品は大丈夫ですかみたいな事を言われ、何なんだこの世は。。。と。
これ書きながらニヤケテくるし、泣けてくるし。。。
今の店も、ここに書ききれない大事件一杯ありました。
この店にも消防車数台、警官十数人一気にきた事ありますし、そのまま大ゲンカしました。
その時もその後数えきれない位の人に謝罪しましたね。
こんな事書いてるくらいですから、どれも大事故にはなってないのですが、まー色々ありますね。
何なんでしょうね、この魅力。
レストランをする。
やったことある人しか分からないですよ。多分。
休みない、儲からない、熱い、暑い、従業員すぐ辞める。
でも、最高の仕事です。
僕は食べ物屋の数だけ少なくとも馬鹿な方がいてはるのだと思ってます。
こんな嘘みたいな話、なんぼでもあります。
ちょっと興味持った方。
偶然ですが、従業員募集してます。
我こそは!という方。
謝罪が上手な方。
税務署に親族がいる方。
銀行に捏ねがある方。
UFO見た事ある方。
コックは儲かると勘違いしてる方。
僕の様に料理は人を幸せにできると信じてる方。
その他、いかなる不純な動機でも構いません。
スタッフ募集しております。
試働きもOK.
アルバイトからでもOK.
なんなら社長のポストも借り入れごと譲ります。
オステリア オ ジラソーレ 移転のお知らせ
トップページでご報告致しましたが、またしても懲りずに移転する事になりました。
先ずは、どんなお店になるか、簡単にご紹介します。
まず、皆様。店の形態が変わるのか?等のご心配もあるでしょうが、変わりません。
オステリア オ ジラソーレのコンセプトは永遠に不滅です。
今後更に進化、深化したいとは切に思いますが。。
席数も同程度です。
なら、何で移転すんねん!
となりますね。
よくぞ聞いてくれました。
次のお店は、今のお店の約倍の敷地があります。
その中に、今と同じ規模のオステリア オ ジラソーレがあります。
その横に、(厳密には前に)イタリア菓子専門店(パスティッチェリア)、イタリアの惣菜専門店(ロスティッチェリア)を併設し、イートイン出来るようにバールがあります。
4軒の楽しさを一軒に無理やり突っ込みます。
何故か?
僕が多店舗展開できる器じゃないからです。
ムッチャでっかい厨房作って、全部睨みを利かせ、全部納得いくものに囲まれたい。
僕は、12席の店からスタートしました。
12席だから出来ていた事、12席じゃ出来なかった事。
その後移転し、20席の今の店に移りました。
結局、何かを諦め、何かを手に入れた訳です。
この20席の店は、僕に沢山の事を与えてくれ、僕は人生を捧げました。
俗に言う悪魔との契約です。
飲食業の数あるカテゴリーの中で、いわゆるちゃんとしたレストランは、総合格闘技です。
だからエキサイティングかつセクシーな仕事ですが、ダメージ、摩耗も酷い。
僕は現役を永く続けたい。
出来立ての料理を出したい。
常にその瞬間のベストを尽くしたい。
出来るだけ全部自分で作りたい。
そうなると、20席は限界の限界です。
それにプラス、パスティッチェリアとロスティッチェリアを併設するのは無謀に見えるかも知れません。
しかし、したくて堪らんのです。
全身の全細胞がしたがっています。
こんな店がしたくて、修行して、嫌な事にも耐えて、今がそのチャンスかも?と思った以上、男として挑戦しない訳にはいきません。
一部の方には結構反対もされました。
でもそれ以上に沢山の方に応援して頂いています。
思えばもう12,3年以上前です。
4年半を過ごしたナポリ。
全くお金なく、貧乏で、大家さんに頼み込んで物置にすましてもらったり、友達の家のこれまた物置に転がり込んだり。
最初の物置はドアがありましたが、トイレと窓で繋がっており、人体とはこんな不思議な音を発するのだと色んな発見をし、
二軒目の物置はドアすらなく、プライバシーゼロ。拾ってきたベットで寝てました。
このベット、丁度ど真ん中のあたり気を付けないとスプリングが飛び出しており、誤って寝返りを打つとケツに刺さり朝起きたら血だらけというアトラクション付でした。
三軒目の家は最高でした。
カトリックの教会のゲストルーム。
テラス、バスタブ付。
知人のご厚意で紹介頂き、格安で住めました。
20代の僕は神の家に、料理の本と間違って買ってしまった数冊のエロ本を持ち込んでいました。
頼んでも無いのに信者のおばさんが、僕の部屋を掃除してくれたんですね。
中学、高校とエロ本を隠していた場所は、20代になろうが、外国だろうが変わりません。
三つ子の魂百まで
エロ本を自分のお袋に見つかろうが、外国で熱心なカトリック信者に見つかろうが、そのダメージも良く似ていました。
そして見つけた方の行動も似ていますね。綺麗に重ねてベットの下。
きっと見つけた方のショックも同じなんでしょう。
ほどなくして、その教会に住めなくなりました。
何故だったのでしょう。
その後、片道1時間歩く教会に引っ越しました。
全てのコレクションとサヨナラして。。。
しかし、1日24時間。最低16時間働かされる店で、往復2時間の徒歩通勤はめげました。
最終の棲家は店の近くに乗り捨てられていたキャンピングカー。
最初は電気もなく、ロウソクで暮らしていました。
しかし、腐ってもキャンピングカー。
同僚のお父さんだったかな?修理して、レストランの駐車場から電気引いてくれて、僕の小さな城に明かりが付きました。
嬉しかったなー。。。
こんな、おバカな貧乏修行でしたが、イタリアという国はホントに素晴らしい。
こんなにお金がなくても、ちゃんと美味しいものが食べれるのです。
そのちゃんとというのは、決してレストランで食べるような物ではありませんが、添加物や化学調味料の入ってない、手作り感満載の食べ物です。
例えば、切り売りのピッツァだったり、揚げピッツァだったり、コロッケだったり、スップリ(ライルコロッケ)だったり。。
そうです。つまりはジャンクフードなんですけど、全部手作り。
職人やコックが朝からその日の分を作ってるんです。
日本でいう、タコ焼きとか、昔ながらのパン屋さんの総菜パンとか、おにぎりとかなんですかね。
でも、美味しくて、おしゃれで、温かくて、思わず笑顔になります。
そんな店がしたい。
後、お菓子もそうです。
イタリア菓子は素朴です。
そして詰まってるものが多い。
レストランでコースを食べた後に、日本人がさー、ドルチェ、ドルチェとなるような代物じゃありません。
今のジラソーレでは、小ぶりにしたり、レストランらしい口どけを狙ったりしてますが、思いっきりイタリア菓子をバーンとお出ししてみたい。
僕は酒飲みなので、基本的にあまり甘い物を食べませんでした。イタリアに行くまでは。
イタリアに住みだして3か月程したある日、急にクラクラして立てなくなりました。
そんな僕を見た当時の大家さんが、エスプレッソに砂糖を5,6杯ぶち込んで飲ませてくれました。
あら不思議。
点滴したみたいに元気になりました。
低血糖だったようです。
エスプレッソに砂糖も入れないし、果物も食べない、ドルチェも食べないとイタリアでは糖分が足らなくなります。
和食では、無意識に砂糖を摂取しますが、イタリア料理には砂糖は入りません。
だからイタリア人は果物を良く食べ、エスプレッソには砂糖をこれでもかと入れ、ドルチェはキーンと甘いのです。
そっから甘い物にはまりました。
朝、バールで揚げドーナツや甘いクロワッサン(コルネットと言います)を食べる幸せ。
夕方、ランチとディナーの間の休憩中に貪り食ったカンノーロ。
どちらも将来、絶対自分の店で出そうと誓いました。
それもレストランでなく、イタリアのバールやパスティッチェリアの様に、パッと食べれてパッとデートの続きが出来るようなのがいいな~と思いました。
これらの、揚げたてのドーナツや揚げピッツァ、ドルチェなんかは、小さな子供から大人まで幸せにできます。
レストランには来れない、小さな子供も夢中になる。
口の周りに砂糖をいっぱい着けながらドーナツ食べてる子供もいれば、昼からオープンスペースでスプマンテ飲んで葉巻吸っているオッサンがいる。
これが僕が思うカッコいい店。
そんな店が、色々言われながらも10年も続けば必ず町の風景の一部になると思います。
それがイタリアに憧れ、恋い焦がれた僕が、日本でイタリア料理をする理由になるのだと信じています。
イタリア料理のピンからキリまで。
イタリアの街角を切り取ったような店。
デカい借金して、箱と商品は僕が用意します。
新しいジラソーレ。
今まで以上に皆様の人生にグイグイ侵入致します。
使い倒してくださいませ。
新店舗住所
兵庫県芦屋市宮塚町15-6 キューブ芦屋1F
電話番号は同じです。
6月上旬オープン予定です。
まだ、このお店の最終日も決まっておりません。5月20日位までは必ずやっております。
パニーニ(複)。一個ならパニーノ。
中途半端に日本で市民権を得てますが、実際イタリアでは物凄く日常的に食べられます。
まさに日本のおにぎりと同じ存在。
パニーノと呼ばれるのは基本的に丸いパンです。
仮に中に何にも入ってなくてもパニーノ。
そして、中になんか詰め込むように存在する、パニーノ用パニーノ。その名もロゼッタ。
小さいバラという意味です。
ロゼッタの特徴はしっかりしてるけど、クリスピーで分厚すぎない皮と特殊な成形で生み出される中の空洞。
詰め込む具材はなんでもOK!
生ハムやサラミ、チーズは勿論、カツレツ、サラダ、野菜のマリネ。。
僕の一番はモルタデッラハム。
これを超薄切りにして、これでもかと言う位詰め込む。
これとビール。
なんで戦争とかするんやろ?と思いますよ。
新しい店のファザード。
恐怖とやる気と緊張で錯乱しかけてます。
でもね、絶対良い店になりますよ。
ちょっとハイカウンターな立ち飲みスペースとか、オープンスペースとか、こういうのは凄く好きな方と嫌いな方に分かれます。
例えば、こんなに小さな子供を魅了してやろうと息巻きながらハイカウンター。
子供は届きません。
ワザとです。
必ず、子供もファンになってくれるはず。
ちょい悪オヤジも女子高生も、色んな思惑で来て下されば良い。
でも、誰にも合わせません。
元々、色んな世代に愛されるはずのものだから。
だから子供にも合わせません。
むしろ、早く大人になりたいと思わせたい。
レストランと違い、細かいルールも出来るだけ無し。
その瞬間にそこに居合わせる皆様で、その時ベストな使い勝手を作り上げたい。
大人社会のヨーロッパで学んだ事です。