芦屋のイタリア料理とイタリアワインのお店

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2008年2月

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皆様お気づきだと思いますが

皆様おお気づきだと思いますが、私、幼少の頃から日記、夏休みの宿題何一つ続いた事がありません。
 
このコラムも恥ずかしながら今年初更新です。
 
そのうちジラソーレのコラムが更新されるとユーロが上がるみたいな都市伝説的噂が流れてもいやなので、頑張ります。
今日2月9日は、ここ芦屋でも朝から雪で、かなり寒かったです。こんな冬のムッチャ寒い日は、イタリアの農家の友達の家で豚を1頭つぶし、サラミなんかを作る行事に参加した事を思い出します。
そう言えば以前コラムで昔養豚場で働いた事を少し書いて詳しくは、またの機会にと、そのままにしてたので今日はその話を。
これを語るには、僕のそれ以前の人生を数行で語らなければなりません。
 
第1話~コックになってすぐの十代~
幼少の頃からコックになると決めていた僕は、何の迷いも無く辻調に行きました。そこで、授業料がいくらとか全く気にせず漫画を読むか、友達と下の話をするかぐらいの学生生活をしておりましたが、このままじゃいかん!と勉強になりそうなレストランでバイトをしようと決意しました。しかし、当時18,9歳の僕には無茶苦茶好きな彼女がいて1秒でも会える時間があるようにと、地元でしか仕事を探しませんでした。10代の頃は所詮こんなもんです。
 
偶然見つけたバイトも、イタリア料理じゃなくてスペイン料理でした。まー似てる部分もあるやろと気楽な物でした。こんな甘ちょろい気分で入った店が、いまや伝説の西宮苦楽園、ドスシバリスでした。ここで僕は衝撃体験をしまくって、本当に心のそこからコックになりたいと思いました。ここの当時のシェフは、いまやエルポニエンテで大成功している小西シェフでした。いまだに師と仰いでいますが、当時の小西さんはまさに炎でした。周りを焦がし、焼き尽くしながらも自らは決して燃え尽きないパワーとエネルギーでそれはもう圧倒されました。
第2話に続く。 

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